1892年から1905年までイスタンブールに住み、トルコ・日本の関係に積極的に貢献した日本の実業家は、1892年に初めてイスタンブールに到着しました。その理由は、1890年に日本に行き、帰国途中で沈没したエルトゥールル号でした。彼は、船員たちの家族への支援のためのキャンペーンを始めました。
彼は1892年にイスタンブールに到着し、1905年までイスタンブールに滞在しました。その間、彼は日本文化の普及に努め、トルコ語やオスマン帝国の文化構造を学ぼうとしました。
父から受け継いだサムライの刀を、アブデュルハリム・ヌダ・エフェンディ(ショタラ・ノダ)という日本のジャーナリストを通じてスルタン・アブデュルハミトに贈りました。 日本とオスマン帝国の間の商業関係を発展させることを望んだ山田は、イスタンブールに「ショップ・ナカムラ」という店を開きました。
彼がスルタン・アブデュルハミトに贈ったサムライの鎧は、現在トプカプ宮殿で展示されています。
山田寅次郎ホール